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アメリカンジョーク?

2006.01.30
カトリックジョークというか、キリスト教の内輪ジョークというか、アメリカンジョークにもこんなジャンルがあるのです。
有名なのはこんなのがあります。先日講義でも紹介されていました。

神様の知らない3つのこと。
女子修道会がいくつあるか
フランシスコ会がいくら持ってるか
イエズス会が何を考えているか


あとは

洗礼を受けて常識を失い、哲学をやって理性を失い、神学をやって信仰を失う

だとか。これはジョークじゃないような気もしますけども。
んで、今日は一日暇だったので、いろいろと調べていたのです。
あれですね、日本のサイトだと「神様ジョーク」はあるんですけども、もうちょっと内輪っぽいのはなかなか見つかりません。
なのでとりあえず、外国のサイトを見てみました。今回はそれで見つけたのを紹介してみようと思います。いまいち英語がよくわからないので、ネタ元のサイトは結構怪しいかもしれません。
あと訳は私がなんとなくやったものなので、意訳やら誤訳はきっとたくさんあります。Catholic-pages.com を見たほうがきっと賢明です。これの引用元です。
それで肝心のジョークは結構長いので、「続きを読む」に入れておきました。 続きを読む
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14日目 のいすのいす

2005.08.22
11時くらいに起きたでしょうか。周りはすでに出かけた後でした。調子が悪いようだったので、そっとしておいてくれたようです。着替えて、宿舎を出ようとしたら鍵がかかっていました。出られません。
どうしようかなあと思いながら、とりあえず本を読んでいたら、工事の方が開けてくれました。
教会に行くと、既に昼食のようで、アルデンテなお粥にカレー(?)みたいなものをかけた、一風変った料理をいただきました。久しぶりのお米で、とてもおいしかったです。
その後、ノイスの博物館へ。市長さんの挨拶がありました。
展示物がいろいろあって、楽しめそうでした。売店にあった古代ローマのワインが面白そうです。でもワインを持ち運びするのはしんどうそうなので、諦め、変ったCDを買いました。ゆっくり鑑賞するまもなく市内の教会へ移動。本当にドイツの町並みは綺麗です。
市内の教会で、オルガンの演奏会がありました。教会全体が楽器みたいとはよく言ったもので、うねるような音がすごかったです。

13日目 教皇ミサ はぐれたっぽい侍者がかわいかった。

2005.08.21
なにかみょうな悪寒とともに起床。7時くらいかなあ。
寝袋がすこし捲れてて、その部分がびっしょりでした。いちおう防水加工はしてあったのですが、それでも外側はぐちょぐちょです。
歯を磨いてから屋台に行き、焼きそばを買いました。それから実家に電話。一瞬でコインがなくなります。「1000万人くらいいるかも」と伝えると驚かれました。
その後教皇ミサ。
キャソックを着た聖歌隊の前にバンドがあったりして、ちょっとシュールでした。ドラムがじゃーんでその合間にグレゴリオ聖歌が入ったりするのです。うーん・・・。使ってる曲はわりと古い曲をアレンジした感じのものが多かったです。アレルヤ唱がかっこいい。
教皇が居るところは、小山のようになっていて、そこが祭壇って感じでした。東方正教会の人たちが居たのが印象的。なにより驚いたのは、共同司式の司祭の数です。山のふもとに白い粒粒がだーっと見えて、なんなのだろうと思っていたら神父さんたちでした。1万人くらい居たそうです。司教も1000人とかなんとか。日本の神父さんたちも、一部は祭壇前に行っていましたが、その場に椅子を設けて祭服着て座っている司教様も居ました。
ミサ自体は大体ドイツ語。あと英語かなあ。会衆も歌うところはラテン語でした。説教はドイツ語がわかる人に訳してもらいました。やっぱり聖体の話です。いいこと言ってるなあと。
私は画面の前で見ていたのですが、聖体拝領がすごいことになっていました。祭壇山のふもとからパテナをもって、司祭がいっせいにあちらこちらに行くのです。侍者が傘を持って案内していました。当然ただ広い会場のはずれの方にくるのは遅く、ミサが終わっても聖体拝領は続いていました。というか派遣の祝福のあたりでやっと到着したような気がします。
なんだかんだで教皇ミサが終わり、早い国はさっさと帰ろうとしていました。日本は「みんながひいてから」という作戦で、午後あたりまで残っていました。教皇がお帰りになられた後、祭壇山でなんだかよくわからないバンドが歌ったりしていましたが、その山の前に陣取っていた情熱的な人々は、すでに情熱的に帰って行った後で、ゴミやらなにゃらで荒れ果てていました。歌ってる人は気の毒だなあ。
今回通して思ったのですが、ゴミがすごいです。特にラテン系。巡礼の経路にもゴミをばかすか落としていきますし、自分たちの区画の掃除すらしません。それが何万人もいるのだから、どうなっているかはおして知るべし。日本は几帳面でいいなあと感心しました。イタリア人がいた区画との境目が面白いことになっていました。
時間も経って、そろそろかなということで、出発です。当然、帰りも激しい混雑が予想されていたので、事前にそれぞれで目的地と行き方を確認して、自力でもいけるような感じで出発しました。
行き先はハイリゲファミリエではなく、ノイスの聖コルネリウス教会です。
帰りの道はロザリオの祈りとかをしながらのんびり行きました。救急車だのパトカーだのが往復していて、ちょっと混乱していましたが、行きほどきついとは思わなかったのが印象的です。バス停は大混乱でした。ですが意外と要領よく振舞えたせいか、グループではぐれることなくバスに乗れ、座ることもできました。バスの中でベルギー人のシスターと話せました。帰り際にありがとうと言われたのが嬉しかったです。
駅に着くと、バス停の混雑はどこへら、とても閑散としていました。逆に不気味です。この経路でよかったよねと、電車に乗り、イカを食べながらノイスに向かいました。とてもスムーズ。
聖コルネリウス教会につくと、わりといろいろなグループが既に到着していて、夕食を食べていました。夕食はまた缶詰とパン。実のところ、こっちについたらなにかいいものが食べられるかもと期待していました。まあしょうがないですけども。
食後、急におなかが痛くなりました。変に疲れていたようです。教会の方が病院に連れて行ってくれるというので、その言葉に甘えました。ドイツの病院は生まれて初めてでした。なんだかいろいろと検査をされ、特に異常はないが疲れがたまっているのでしょうと言われました。なんだか周りを振り回してしまったような感じで、悪かったなあと反省しています。
その後、宿舎になっている小学校へ。マットを貸していただき、その上に寝袋を敷いて寝ました。まだちょっと乾いてないです、寝袋。
いやー、いろいろあったなあ。

十二日目 マリエンフェルトへ

2005.08.20
6:30に起床しました。
今日はついに、教皇によるミサがおこなわれる会場、マリエンフェルトに移動する日です。
イタリア人が戦闘体制に入らないうちに、先回りして食事を頂きました。
なぜかハム類が増えています。生ハムとか。イタリア人仕様ですかそうですか。
そして時間がたち、嵐のようにメッセを去っていくイタリア人に続いて、日本グループもハイリゲ・ファミリエ教会に向かいました。イタリア人はごみを落としすぎです。
教会では出発ミサを行い、ミサ前に配られた折り紙を折りました。これを回収して再分配し、まあなんというかお守りのように使うそうです。
んで出発です。
さよならハイリゲ・ファミリエ。宙に浮かぶ聖櫃は前衛的でかっこよかったよ。
これからは基本グループで行動することになりました。
私たちの班は少し変わったルートを取ったのか、電車では大きな混雑にあうことも無く、座ることさえ出来ました。車内では、やっぱりなんとなく外人に鶴を配ってみます。
ですが微妙なハプニングが起こりました。「会場の近く」まで行くバスに乗るとき、男性陣とはぐれてしまったのです。まあしょうがないよねと、女6人で会場に向かうことに。
会場へ向かうまでの徒歩は、一応「巡礼」です。歌を歌ったりしながら向かいました。こっちが歌ってると、ほかの国の人が手をたたいてくれたりあっちも歌ってくれたりと、なんだか楽しかったです。道中、地元の人たちがリンゴやチョコレート、水を配ってくれたり、屋台がいろいろと出ていたりと、あまりしんどい思いはしませんでした。なによりも景色がとても綺麗でしたし。

6時ごろ(?)マリエンフェルトに到着。日本の区画は、わりと教皇のいる山からちかかったはずですが、着いたときには既に大量のイタリア人に占領されていたので、広場のはずれの方に行きました。広場といってもむちゃくちゃ広かったです。一区画が大きい。
やはりマリエンフェルトのあちらこちらにも屋台がたくさん出ていて、支給されたパンとジャムをかばんにしまってそっちに走りました。エセ焼きそばとチリソースつきの春巻きがおいしかった。
今日はミサはなく、夕べの祈りがありました。広場のいたるところに立っている画面に、教皇が到着するところから祈りまで映し出されていたのですが、到着時にちょっとごたごたしていて、落ち着いて到着を見ることはできませんでした。残念。夕べの祈りは落ち着いてみられましたけども。蝋燭がすごいことになっていました。
会場は夜露がすごく、広げた寝袋が一瞬でしっとりしてしまいました。エマージェンシーブランケットを上からかぶせてる人がいて、それは正解だよなあと思ったり。
なんだか長く寝ていると凍りそうな気がしたので、適当に会場をふらふらしました。イタリア人だかアメリカ人だかが、一晩中やってそうな勢いで丸くなって踊っていました。いたるところで。救急車があちらこちらを行ったり来たりしていて、なんだか音とか光がすごかったです。屋台はたくさんあるせいかほとんど並ぶこともなく、簡単にホットドッグだのビールだのを買うことができました。
こんな感じです。
いい加減疲れたかなあと思ったので、1時くらいに就寝しました。

十一日目。大量入植?

2005.08.19
6時ごろ起床?
今日の午前中もハイリゲ・ファミリエ教会でカテケージスでした。
ワカモノのこれから歩む道についてみたいな。正直なんか微妙・・・。まあいいや。

お昼はスーパーに行って買ってきました。あいかわらず寿司がありましたが、もうこりごりです。パンとオイルサーディン、サラダとかそんな感じで。それをちょちょっと食べて、あとは教会のお御堂でぼーっとしていました。ここの教会は御聖櫃が浮いてます。宙吊り。しかも開き方がSFっぽい。

午後は共同回心式でした。私は洗礼をうけていないので、赦しの秘跡(懺悔ね)は受けられず、ブラブラしながらロザリオをやっていました。静かでいい午後が過ごせたとおもいます。
その後、近所の公園で十字架の道行きがあるというので、それに参加しようと公園に向かったところ、雨が降って来ました。長く続きそうだったので、係の人も「中止だねー」みたいに言い出し、私たちは中止ならしょうがないと宿舎に戻ってしまいました。

宿舎に戻ると、入り口にイタリア人の集団が押し寄せていました。今日から泊まる人たちらしいです。やっとのことで中に入り、シャワーに行って戻ってくるとまだ大混乱。
私たちがいたメッセ、今までは10区画もうまっていなくて、フィリピン人やアメリカ人(意外と少数派)とのんびりやっていたのですが、今日になって急にぎっちりになってしまいました。しかもすこし落ち着いたとたんに物々交換大会。浴衣をあげた人がいるらしくて、浴衣とTシャツを交換しようとうろうろしている人が増えたり。Tシャツじゃ安すぎるもんなあ。
その上、なにが嬉しいのか深夜までずーっと歌って踊ってました。イタリア人。トイレの使い方がきたない。

ボランティアの人に、夜のうちに食事を取っておかないと朝がないかもしれないと言われ、ぶらぶらとりに行きました。あいかわらずパン。
夕食はとりあえず、買っておいた魚の缶詰とパンで済ませてしまいました。ちょっと豪華。

1時ごろ就寝?みんなうるさい。
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