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奥さまは魔女

2005.08.31
見てきました。
1000円の日に見に行って正解というかレンタルでも良かったかなというか。
パパが素敵でした。
なんとなく見てる分には楽しいのですが、全体的につくりが粗雑というか大味というか。相手役の俳優がかっこよくもないし魅力もないし、どうして恋愛しだすのかなあと不思議に思ってしまいました。

いやー、なんか女性のこと慕ってる男の人が気持ち悪いなあと感じてしまう今日この頃です。だめだめですね。
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ただいま

2005.08.25
9日からドイツに行っておりました。
ワールドユースデーで。
んで、今日の朝がたやっとこかえりました。
なんかすごい経験しちゃったなという感じです。
明日あたりからちまちま日記でも編集していこうかなとおもっています。
宗教的・人間的な実りはとても多かったのですが、そちらよりもあった事を書くという形で。
だってそういうのを書くのはなんだかこっぱずかしいじゃないですか。

14日目 のいすのいす

2005.08.22
11時くらいに起きたでしょうか。周りはすでに出かけた後でした。調子が悪いようだったので、そっとしておいてくれたようです。着替えて、宿舎を出ようとしたら鍵がかかっていました。出られません。
どうしようかなあと思いながら、とりあえず本を読んでいたら、工事の方が開けてくれました。
教会に行くと、既に昼食のようで、アルデンテなお粥にカレー(?)みたいなものをかけた、一風変った料理をいただきました。久しぶりのお米で、とてもおいしかったです。
その後、ノイスの博物館へ。市長さんの挨拶がありました。
展示物がいろいろあって、楽しめそうでした。売店にあった古代ローマのワインが面白そうです。でもワインを持ち運びするのはしんどうそうなので、諦め、変ったCDを買いました。ゆっくり鑑賞するまもなく市内の教会へ移動。本当にドイツの町並みは綺麗です。
市内の教会で、オルガンの演奏会がありました。教会全体が楽器みたいとはよく言ったもので、うねるような音がすごかったです。

13日目 教皇ミサ はぐれたっぽい侍者がかわいかった。

2005.08.21
なにかみょうな悪寒とともに起床。7時くらいかなあ。
寝袋がすこし捲れてて、その部分がびっしょりでした。いちおう防水加工はしてあったのですが、それでも外側はぐちょぐちょです。
歯を磨いてから屋台に行き、焼きそばを買いました。それから実家に電話。一瞬でコインがなくなります。「1000万人くらいいるかも」と伝えると驚かれました。
その後教皇ミサ。
キャソックを着た聖歌隊の前にバンドがあったりして、ちょっとシュールでした。ドラムがじゃーんでその合間にグレゴリオ聖歌が入ったりするのです。うーん・・・。使ってる曲はわりと古い曲をアレンジした感じのものが多かったです。アレルヤ唱がかっこいい。
教皇が居るところは、小山のようになっていて、そこが祭壇って感じでした。東方正教会の人たちが居たのが印象的。なにより驚いたのは、共同司式の司祭の数です。山のふもとに白い粒粒がだーっと見えて、なんなのだろうと思っていたら神父さんたちでした。1万人くらい居たそうです。司教も1000人とかなんとか。日本の神父さんたちも、一部は祭壇前に行っていましたが、その場に椅子を設けて祭服着て座っている司教様も居ました。
ミサ自体は大体ドイツ語。あと英語かなあ。会衆も歌うところはラテン語でした。説教はドイツ語がわかる人に訳してもらいました。やっぱり聖体の話です。いいこと言ってるなあと。
私は画面の前で見ていたのですが、聖体拝領がすごいことになっていました。祭壇山のふもとからパテナをもって、司祭がいっせいにあちらこちらに行くのです。侍者が傘を持って案内していました。当然ただ広い会場のはずれの方にくるのは遅く、ミサが終わっても聖体拝領は続いていました。というか派遣の祝福のあたりでやっと到着したような気がします。
なんだかんだで教皇ミサが終わり、早い国はさっさと帰ろうとしていました。日本は「みんながひいてから」という作戦で、午後あたりまで残っていました。教皇がお帰りになられた後、祭壇山でなんだかよくわからないバンドが歌ったりしていましたが、その山の前に陣取っていた情熱的な人々は、すでに情熱的に帰って行った後で、ゴミやらなにゃらで荒れ果てていました。歌ってる人は気の毒だなあ。
今回通して思ったのですが、ゴミがすごいです。特にラテン系。巡礼の経路にもゴミをばかすか落としていきますし、自分たちの区画の掃除すらしません。それが何万人もいるのだから、どうなっているかはおして知るべし。日本は几帳面でいいなあと感心しました。イタリア人がいた区画との境目が面白いことになっていました。
時間も経って、そろそろかなということで、出発です。当然、帰りも激しい混雑が予想されていたので、事前にそれぞれで目的地と行き方を確認して、自力でもいけるような感じで出発しました。
行き先はハイリゲファミリエではなく、ノイスの聖コルネリウス教会です。
帰りの道はロザリオの祈りとかをしながらのんびり行きました。救急車だのパトカーだのが往復していて、ちょっと混乱していましたが、行きほどきついとは思わなかったのが印象的です。バス停は大混乱でした。ですが意外と要領よく振舞えたせいか、グループではぐれることなくバスに乗れ、座ることもできました。バスの中でベルギー人のシスターと話せました。帰り際にありがとうと言われたのが嬉しかったです。
駅に着くと、バス停の混雑はどこへら、とても閑散としていました。逆に不気味です。この経路でよかったよねと、電車に乗り、イカを食べながらノイスに向かいました。とてもスムーズ。
聖コルネリウス教会につくと、わりといろいろなグループが既に到着していて、夕食を食べていました。夕食はまた缶詰とパン。実のところ、こっちについたらなにかいいものが食べられるかもと期待していました。まあしょうがないですけども。
食後、急におなかが痛くなりました。変に疲れていたようです。教会の方が病院に連れて行ってくれるというので、その言葉に甘えました。ドイツの病院は生まれて初めてでした。なんだかいろいろと検査をされ、特に異常はないが疲れがたまっているのでしょうと言われました。なんだか周りを振り回してしまったような感じで、悪かったなあと反省しています。
その後、宿舎になっている小学校へ。マットを貸していただき、その上に寝袋を敷いて寝ました。まだちょっと乾いてないです、寝袋。
いやー、いろいろあったなあ。

十二日目 マリエンフェルトへ

2005.08.20
6:30に起床しました。
今日はついに、教皇によるミサがおこなわれる会場、マリエンフェルトに移動する日です。
イタリア人が戦闘体制に入らないうちに、先回りして食事を頂きました。
なぜかハム類が増えています。生ハムとか。イタリア人仕様ですかそうですか。
そして時間がたち、嵐のようにメッセを去っていくイタリア人に続いて、日本グループもハイリゲ・ファミリエ教会に向かいました。イタリア人はごみを落としすぎです。
教会では出発ミサを行い、ミサ前に配られた折り紙を折りました。これを回収して再分配し、まあなんというかお守りのように使うそうです。
んで出発です。
さよならハイリゲ・ファミリエ。宙に浮かぶ聖櫃は前衛的でかっこよかったよ。
これからは基本グループで行動することになりました。
私たちの班は少し変わったルートを取ったのか、電車では大きな混雑にあうことも無く、座ることさえ出来ました。車内では、やっぱりなんとなく外人に鶴を配ってみます。
ですが微妙なハプニングが起こりました。「会場の近く」まで行くバスに乗るとき、男性陣とはぐれてしまったのです。まあしょうがないよねと、女6人で会場に向かうことに。
会場へ向かうまでの徒歩は、一応「巡礼」です。歌を歌ったりしながら向かいました。こっちが歌ってると、ほかの国の人が手をたたいてくれたりあっちも歌ってくれたりと、なんだか楽しかったです。道中、地元の人たちがリンゴやチョコレート、水を配ってくれたり、屋台がいろいろと出ていたりと、あまりしんどい思いはしませんでした。なによりも景色がとても綺麗でしたし。

6時ごろ(?)マリエンフェルトに到着。日本の区画は、わりと教皇のいる山からちかかったはずですが、着いたときには既に大量のイタリア人に占領されていたので、広場のはずれの方に行きました。広場といってもむちゃくちゃ広かったです。一区画が大きい。
やはりマリエンフェルトのあちらこちらにも屋台がたくさん出ていて、支給されたパンとジャムをかばんにしまってそっちに走りました。エセ焼きそばとチリソースつきの春巻きがおいしかった。
今日はミサはなく、夕べの祈りがありました。広場のいたるところに立っている画面に、教皇が到着するところから祈りまで映し出されていたのですが、到着時にちょっとごたごたしていて、落ち着いて到着を見ることはできませんでした。残念。夕べの祈りは落ち着いてみられましたけども。蝋燭がすごいことになっていました。
会場は夜露がすごく、広げた寝袋が一瞬でしっとりしてしまいました。エマージェンシーブランケットを上からかぶせてる人がいて、それは正解だよなあと思ったり。
なんだか長く寝ていると凍りそうな気がしたので、適当に会場をふらふらしました。イタリア人だかアメリカ人だかが、一晩中やってそうな勢いで丸くなって踊っていました。いたるところで。救急車があちらこちらを行ったり来たりしていて、なんだか音とか光がすごかったです。屋台はたくさんあるせいかほとんど並ぶこともなく、簡単にホットドッグだのビールだのを買うことができました。
こんな感じです。
いい加減疲れたかなあと思ったので、1時くらいに就寝しました。

十一日目。大量入植?

2005.08.19
6時ごろ起床?
今日の午前中もハイリゲ・ファミリエ教会でカテケージスでした。
ワカモノのこれから歩む道についてみたいな。正直なんか微妙・・・。まあいいや。

お昼はスーパーに行って買ってきました。あいかわらず寿司がありましたが、もうこりごりです。パンとオイルサーディン、サラダとかそんな感じで。それをちょちょっと食べて、あとは教会のお御堂でぼーっとしていました。ここの教会は御聖櫃が浮いてます。宙吊り。しかも開き方がSFっぽい。

午後は共同回心式でした。私は洗礼をうけていないので、赦しの秘跡(懺悔ね)は受けられず、ブラブラしながらロザリオをやっていました。静かでいい午後が過ごせたとおもいます。
その後、近所の公園で十字架の道行きがあるというので、それに参加しようと公園に向かったところ、雨が降って来ました。長く続きそうだったので、係の人も「中止だねー」みたいに言い出し、私たちは中止ならしょうがないと宿舎に戻ってしまいました。

宿舎に戻ると、入り口にイタリア人の集団が押し寄せていました。今日から泊まる人たちらしいです。やっとのことで中に入り、シャワーに行って戻ってくるとまだ大混乱。
私たちがいたメッセ、今までは10区画もうまっていなくて、フィリピン人やアメリカ人(意外と少数派)とのんびりやっていたのですが、今日になって急にぎっちりになってしまいました。しかもすこし落ち着いたとたんに物々交換大会。浴衣をあげた人がいるらしくて、浴衣とTシャツを交換しようとうろうろしている人が増えたり。Tシャツじゃ安すぎるもんなあ。
その上、なにが嬉しいのか深夜までずーっと歌って踊ってました。イタリア人。トイレの使い方がきたない。

ボランティアの人に、夜のうちに食事を取っておかないと朝がないかもしれないと言われ、ぶらぶらとりに行きました。あいかわらずパン。
夕食はとりあえず、買っておいた魚の缶詰とパンで済ませてしまいました。ちょっと豪華。

1時ごろ就寝?みんなうるさい。

十日目。生まれて初めてローマ教皇をナマで見た。

2005.08.18
徹夜でフラフラです。寝たいんだけど話しがはずむと眠れなくなるもので・・・。しょうがないから朝風呂に行きました。わりと優雅なもんです。
一応ここでの生活も要領つかめてきたので、さりげなく洗濯物とかも洗えるようになってきました。専用の干すゾーン作ってみたり。・・・楽しいかも。でも食事は最悪ですね。とにかくパンしか出ないので。私はご飯派。

まあとにかく。
今日はハイリゲ・ファミリエ教会でカテケージスでした。御聖体について。徹夜でまあ・・・記憶が飛んでしまいました。
その後、ベネディクト16世の歓迎式典がライン川でおこなわれるというので行くことに。ただ、ものすごい混雑が予想されたので、行かない組と行く組に分かれました。ちょっとサバイバル気分。
身構えていったものの、選んだ経路がよかったのか運がよかったのか大きな混雑にあうことなく、無事にケルン川沿いに着きました。ライン川を流れてくるそうです。ベネさま。
欲を張って人が多い川上の方に行ったのですが、これが微妙に失敗でした。ここでいいやと腰を下ろした私たちの目の前にゴミ箱がありました。んで、その上にアホドイツ人親子が来て、その上に立ってるんです。尻しか見えない。親父の尻。とりあえず娘の方にガンを飛ばすことしか出来ませんでした。
まあでも、なんとか人の間から川を見ることが出来て、ベネさまが乗ってる船も見ることが出来たんです。
べーねでぃっと!
目の前を一往復です。往路は遠かったのですが、復路がおもいっきり近くて、なんかマント(?)がはためいてるところだの顔だのがしっかり見えて感動しました。あんなに感動したのは初めてです。後ろに枢機卿がだーっと並んでるし。すごいなあ。やっぱり。

ひとしきり感動したあと、私たちは即帰りました。このあとケルン大聖堂でお話しなどをしたようですが、これを見てると混雑で無事に宿舎に戻れるかどうかがあやしくなってしまうのです。
ちょうど人波の先頭集団に入れたせいか、なんとか駅に入ることは出来ました。私たちの目の前で警察が駅を封鎖していました。混雑予防とか・・・。

8時半ごろに宿舎に戻ることが出来、お月見などをして呑気に過ごしました。別の経路で行った友人は11時過ぎに帰ってきたり。閉鎖後に駅に着いたらしいのです。
12時ごろに就寝。

九日目。迷子になった。

2005.08.17
6時半起床。
いよいよケルン大聖堂に巡礼です。ライン川沿いにずっと歩いていくだけですけども。途中で諸聖人の連祷などの歌が流れていて、だいぶ落ち着いた気分で歩けました。
ケルン大聖堂の周りはすごい人で、最初は日本人グループで固まっていたのですが、ばらばらにはぐれてしまいました。一応一緒にいた人たち6人ほどで固まっていたのですが、さすがにこの人ごみだと一度大聖堂に入ったらしばらく出て来れないのではないかということで、大聖堂の中は断念。空が恐ろしいほど青かったです。

それからボンのAYGの会場に向かうことに。その6人ほどで向かうことになったのですが、私が水を買っている間にはぐれてしまいました。
自業自得です。
喉が渇いたと水を買っていたら、ちょうど電車が来たので、これだと思って飛び込んでしまったのです。そしたらなんだか違ったようで、途中で降りて警備のおじさんや案内の人やホットドッグ屋のおねえさんやらに必死に聞きながらケルン駅まで戻り、うろうろしていました。そしたらちょうど、別行動していた班の人たちと合流することができ、なんとかボンに。
AYGでは盆踊りをすることになっていたので、浴衣に着替えました。浴衣は人気。
会場に音源を持っている人や踊りを中心的にまとめていた人がまだついておらず、すこしハラハラしましたがなんとか間に合い踊りました。割にうけていたので安心。
これが終わった後で、東ティモールの人たちが特別に色々見せてくれて感動しました。初めてこれに参加できたそうです。
帰りは着替える間がなかったので浴衣のまま帰りました。
ケルンで浴衣も珍しいかもしれない。
シャワーもぎりぎり浴びられました。プールの閉店時間に間に合うように浴衣で疾走。すごいことしてしまった。

人と喋ってるうちにこの日は徹夜してしまいました。

八日目。どんどん人が増えてきた。

2005.08.16
6時30分起床。
朝食はパンとヨーグルト。隣の比較的小さなホールに行って、並んで貰ってくるような感じです。

近所のハイリゲ・ファミリエ教会に電車で移動。ドイツの教会って、無賃乗車が簡単にできそうな感じですね。ルクセンブルグも。車内にまで落書きがあったり。
そこの教会で日本巡礼団の結団式をしました。ミサじゃなくて聖書朗読や講和など。めずらしいかもしれない。

その後、昼食をとりに教会近くの公園まで行きました。あまりに人が集まりすぎていたため、結局食事(スパゲッティとかあったらしい)はもらえず、近くのスーパーに。
寿司を見つけました。6.99ユーロ。ネタはサーモンとシャコ。意外と新鮮でおいしいのですが、シャリがとてもまずかったです。甘くて冷たくて堅くて米の形してない。一応日本米みたいだけども。機内食がもっと進化したような感じ。でもガリはとても美味しかったです。あと醤油入れ(魚の形!)の「プラ」にちょっと和みました。
さすがにこんな寿司だけでは物足りないので、スーパーの前で色々買って食事会のような感じに。迷惑かなあと思ってたら、普通に他の国の人たちもちらほらやっていたのでまあいいかと。ドイツ人なんかビール1ケース買って酒盛りしてるし。すごいなあ。

その後メッセの中にあるスタジアムに行き、ワールドユースデーの開会ミサ。
これに参加する国はあらかた集まってきたようで、会場がほかにいくつか分散しているにもかかわらず人がいっぱい。イタリア人なんて8万人ほどいるらしい。共同司式の神父さんがすごい人数。
さすがに多国籍過ぎるせいか、ミサは全部ドイツ語で統一。「und mit deinem Geiste(また司祭とともに)」と「Dank sei Gott(神に感謝)」だけは覚えられました。ウントミットダイネムガイステですよ奥さん。そして聖体拝領、私のいた辺りは人口密度に比べて神父さんが一人しか来なかったので、閉祭してもまだ続いていました。神父さんキツそう。
このミサの後にフェスティバルがあるというのですが、なんだかドイツ語でうわーっとやっているだけなので、それはサボってシャワーに行ってしまいました。

メッセの隅のほうにプールがあって、そこのシャワールームが使えるのです。なんというか、あそこで開会式してる人たちがこっちに来たらとてもじゃないなあと。鬼のいぬ間に洗濯?

明日はAYG(アジアンユースギャザリング)という、アジアの国だけが集まって色々と国紹介などをする集まりがあるそうで、宿舎では割りに大勢の人がソーラン節の練習をしていました。私はなんだか疲れたので就寝。

七日目。風呂入れないかも。

2005.08.16
7時5分起床。
今日でホームスティは終わり、ドイツに移動することになります。
8時30分に駐車場に行き、ホストファミリーの車でエシュテルナッハの教会へ移動。

そこで派遣式典。
式典というかミサです。そこに集まった諸国の代表的な聖人の御絵が奉納されたりしました。日本代表はルパン三世のような顔をした聖ザビエルでした。聖三木とかいるのになあと。イタリアはアッシジの聖フランシスコ。聖人のいっぱいいる国はチョイスが難しそうです。他の国は誰だかよく分からなかった。
7カ国くらい集まっていたようです。
ミサの後にハンカチを渡され、その地域で聖霊降臨の時に行われる行進を模したような感じで、教会地下の聖人のお墓に巡礼。なんか不思議な踊りを踊りました。イタリア人のテンションがすごい。聖人のお墓を見るのも生まれて初めて。残念なのは、誰なのかよく分からなかったこと。調べてもぜんぜん出てこないんです。もらったパンフレットもルクセンブルグ語だし。

その後食事をし、ホストマザーにお別れを言いました。
別れてから、ドミニコ会系のブラザーとすこしお話。英語が分かりやすくてよかった。宗教的なことを気兼ねなく話せるっていいなあと思うけど、「どう思う?」と聞かれてもすぐに言葉が出てこないものです。英語ならなおさら。

それからバスに乗り、次の宿舎まで移動しました。ケルン・メッセです。メッセの会場。
事前に人から「メッセに泊まるらしいよワクワク」みたいなメールももらっていたので、メッセかよと思いながらなんとなく覚悟はできていました。
でも現地について驚いた。とにかくただっぴろいのです。広さの感覚が狂いそう。そしてその上に区画整備がされていて、国別にエリアが分かれているような具合です。日本は300人ほどしかいないのに広い。しかも男女一緒。
なんかすごい経験してるかもなあと思いました。普通に行ったらこんなところ泊まれないじゃないと。
そして夕食。サラミとパン、野菜の缶詰にりんごです。意外と豪華。何食か足りないようなので、友人と一緒に食べました。

寝るのは床にごろ寝です。寝袋さん大活躍。近くにフィリピン人がいたのですが、普通にテントや空気で膨らませるベッドなんかともってきていてびっくりしました。ある意味正解かなあ。
興奮して(?)眠れなかったので、外をぐるぐる散歩して見ました。
キャンピングカーの展示会でもあったのか、裏に沢山泊まっていました。一瞬この中で寝たいと思ったりして。
立ち入り禁止のところに入ってしまったようで怒られましたけれども。

12時すぎくらいに就寝。ちょうどいい涼しさ。

六日目。なんか嫌な一日でした。

2005.08.14
9時起床。
10時45分からミサでした。今日は主日で、私も信仰宣言の一部を言わせていただきました。なぜか文語。ポンシオ・ピラトのもとにて~と。
ミサの後見知らぬ地元のおじさんに色々話しかけられたので答えていると、別れ際に微妙にセクハラされました。お御堂でなにやってるんだ馬鹿野郎。その後もずーっと着いてきました。あちこちに。思い出すと胃が痛くなるので詳しく書くのやめます。

ミサの後にバーベキューパーティがあって、臭くないラム肉をはじめて食べたり、エッシュにまた行って昔の汽車に乗ったりと色々盛りだくさんでした。
汽車では鉱山の見学をし、降りた後はジオグラフィックの写真展に行きました。
それから近くの喫茶店に行きました。
例のおじさんに住所を押し付けられ、こっちのも教えろといわれました。断った後になんだかもうどうしようもなく泣きたくなったので泣きました。おまえもうついてくるなよと。

それから小教区の教会に移動し、この4日間の写真をスライドショーで見ました。イタリア人盛り上げすぎ。おやじ私の斜め前に座るな。やっとここで別れられましたけども。
それから解散し、私はホストマザーの友達の家へ。そこで夕食会をするそうです。
おばさんにそのおじさんのことを相談すると、なんだか割と有名な電波さんだそうで。一日楽しかったのですが、なんだかつぶされた気分。
夕食会はいいかんじでした。魚介類が結構出たりして。
夕食中に、日本語の縦書きや漢数字についての話題が出ましたが、なんだかあちらの概念では理解するのが難しいそうです。
その後みんなで写真を撮ったりして解散。

これでルクセンブルグでの日程があらかた終わりました。ホストマザーの方には本当にお世話になったし、一緒の家に滞在した方にもお世話になりました。なんだかこの時点で「帰国だなあ」という気分なのですが、これからなんですよね本当は。すごいなあ。

五日目。ヤギでかい。

2005.08.13
7時起床。
今日は教会に行かず駅に直行しました。今日行くクレヴォーはとても遠いみたい。
電車の中でルクセンブルグの人と「アルプス一万尺」をやりました。イタリア人も電車に沢山いて、唐突にニッポンコールをしたりして無意味にハイテンション。

二回の乗換えでクレヴォーに着き、私たちはさらにムンスハウゼン村へ。体験農場村みたいな。だいぶ歩きました。
ルクセンブルグの大司教もいらっしゃって、なんだか歓迎されてるなあと。大司教といつも一緒にいる若い神父さんがかっこいい。つけてる十字架がチョーカー風だったりして。

昼食は久々にスパゲッティ。やわらかいものを食べるのは久しぶりって感じ。
食後に隣の人に鶴の折り方を教えたりして、なんだか和気藹々な雰囲気でした。
村の紹介ビデオを見た後に体験コースというのを選び、馬車に乗りました。
ハエと戦いながらパンを作り、蜜蝋のローソクを何本か買いました。食用のウサギをはじめて見てびっくり。えさをもりもり食ってます。食われちゃうんだなあ、こいつ。

4時に野外でミサがありました。祭壇の関係で、神父さんが前を向いたり後ろを向いたりと大変そうでした。でもこっちに来てからのミサに比べて、わりに落ち着いた雰囲気でなんだか黙想的になれました。

帰りは乗換えで少々混乱したもののなんとか家にたどり着き、小教区の神父さんが作ったラザニエをいただきました。
一緒だったイタリア人の女の子がテンション高い。彼氏に携帯で「アイシテルー」と叫んでいました。
ホストマザーの方のお友達も何人か来て、のんびりとすごせました。デザートがケーキばかり4つほど出てきてびっくり。

11時過ぎごろに就寝。

四日目。日本のゲームソフトってどこでも売ってるね。

2005.08.12
7時45分起床。
9時に教会へ。ローソクをつけてお祈りしました。いいですね。
今日はエッシュへ。

午前は町の散策。
地図が行き渡らず、案内の人もいなかったので私たちは適当に歩きました。途中で雨に降られて喫茶店に入ったりして。
ここにきて初めて雑貨屋だの家具屋にも入れました。微妙に高いけどいろいろおもしろいものが売ってます。
ナチのボードゲームにはびっくりしました。
大公家のポストカード(ファッション雑誌みたいな)が沢山売ってるのにもびっくり。日本じゃあんまないかもしれない。

昼食時にルクセンブルグの人に昆布(梅風味)をあげたらなんだかすごい反応でした。見るからに怪しいもんね、昆布。
あとはじめて司教指輪を生で見たり。

午後は自由工作。
50センチ四方のボードになにか好きなものを作りなさいと。毛糸をずっと貼り付けていたらそれで終わりました。
完成したのでどうしようかと話していたら、教会に持っていけとのこと。
もっていったら祭壇に飾られました。半分適当なのに・・・。うそー。

6時30分からミサでした。ここの教会はどこかのお城みたい。
ミサは相変わらずドラム出動でドンチャカでした。なんかなあ・・・。
途中で自称無神論者が乱入して神父さんとなにやら言い合ってました。
言葉はあいかわらず色々入り乱れててなんだか付いていけない。

ミサの後はまたパーティ。無料でホットドッグ食べ放題。とても美味しいです。
広場の真ん中にあったパズルコーナーで盛り上がりました。知恵の輪とか。
その後わりとすぐに帰宅。
9時半には家についていました。

3日目。盛り上がったなあ。

2005.08.11
7時20分起床。
8時半に近所の教会に行きました。テぜ共同体の使っているラテン語の短い歌を歌い、日本語・ドイツ語・ルクセンブルグ語・イタリア語による聖書朗読をおこないました。それからこの教会の小教区に滞在している日本人とイタリア人、現地のスタッフの人たちの自己紹介。

それからルクセンブルグ市に移動して、色々なプログラムに参加することに。
これから三日間はルクセンブルグの3つの都市に一日ずつ移動し、午前と午後に一つずつ、小冊子の中から好きなプログラムを選んで参加するとようです。
午前中はトーチカと地下礼拝堂の見学に行きました。トーチカに釣られました。でもトーチカといっても古いものなので、遺跡のような感じです。
案内のおやじがいい味出してました。でも英語聞き取れない。トーチカの見学をちょろっとやって、あとは町の教会めぐりといった感じ。

これの時間が長引いてしまったせいか、2時に行われるというミサにぎりぎりで滑り込みました。なんかフォークミサとかを通り越して「じゃーん」みたいなミサ。日本語だのルクセンブルグ語だのイタリア語だのがごちゃまぜでしたけど、こういうときラテン語でやるのが一番良いんじゃないかなあと思ってしまいました。そうすれば何人だって母国語とラテン語対訳の式次第でも持っていれば十分対応できるんだし、素のまま理解できる人だっているじゃあないかと。

ミサの後は「歌を歌おう」という集まりに行ってみました。
後半がなんだかグタグタになってしまったのでみんなと別れ、一人でボーっとしておりました。
夕方から始まるオープニングセレモニーでソーラン節を踊るとかでそれの練習に参加。なんとなく参加していたフランス人がいい味出していました。

その後、集合場所になっていた学校の広場で「オープニングセレモニー」が開催されました。
大司教のお話がなに言ってるかわからないとかで、日本人がソーラン節の練習をまだ続けてたり。微妙。真ん中付近は盛り上がってるのですけども。でも歌を歌ったりするころにはなんだかこちらも盛り上がりました。ビールも飲んでしまいました。

10時ごろにホストファミリーの方が迎えに来てくれて、30分ころに帰りました。
ケーキを食べながら長崎の話。

寝たのは12時前かなあ。

二日目。よく考えるとイベントいっぱい。

2005.08.10
6時20分起床。
食堂がお人形の家みたいです。ここ男子寮って嘘だろうと。男子寮っていうともっと殺伐としてるイメージがあります。全員坊主とか。こんなファンシーなテーブルと椅子と棚は許せない。まあいいや。
食事はわりと簡単。パンやサラミ、チーズなどのビュッフェ(?)でした。
早めに食べ終わり、景色がきれいなベンチでぼーっとしてました。ほんとにきれいです。

その後施設の人にお別れを言って、トリニテ教会に移動。ルクセンブルグのトリニテ教会です。パリとかタヒチとかじゃないです。調べるといっぱいあるのね、やっぱり。
ヨーロッパの伝統的な教会に行ったのって生まれて初めてかもしれません。副祭壇なんて始めてみた。第二バチカン公会議前のものらしいです。真ん中にマリア様がどーんと。
ここでまあ、結団式だか団結式だかをしまして、森の聖母教会(?)まで徒歩で巡礼をしました。森の小さな教会です。そこにミサ後に折った鶴を奉納。
それからフィアンデン城に行き、あれこれ見学。歴史的な建造物のわりに、ヨーロッパ版の日光江戸村みたいでした。蛇を首に巻いたねーちゃんとかワシ使いとか変な魔法使いとか。カリグラフィーの職人さんはいい仕事してました。
40分ほどの見学ですぐに点呼がかかり、地下でファンデンブルグの市長さんのお話がありました。とても歓迎してくれているらしい。

昼食も配られ(やたらでっかいハムのサンドウィッチとりんご)、ホームスティ先に行く事になりました。
ルクセンブルグは神奈川県ほどの大きさの小さな国なのですが、この国の三箇所に分かれるとのこと。
幸い私は学部の友人とも一緒の町で、なんとなく安心。私が行ったのは南部の工業地帯。
ホストファミリーが迎えに来てくれている施設にイタリア人の集団もいました。みんなおそろいの青い帽子をかぶってます。ちょっとかわいい。

スティ先の人は、とても親切そうな方でした。
その方ともう1家族で夕食を食べに。
微妙に話が食い違ったせいか変なサラダが出てきました。冷たい米が鬼のように盛られています。美味しいけどキツイ。

10時には帰宅し、12時ごろに就寝。

初日。

2005.08.09
3時に起きました。
集合時間がバカのように早かったので、父に車で送ってもらいました。
フランクフルトまでは12時間かかると聞いていたので、機内では大変そうだなあと思っていたのですが、意外と一瞬でした。
景色を眺めたり、映画を見たりでほとんど寝られませんでした。

現地時間14時にフランクフルト空港に到着。
そこからバスで約3時間。ルクセンブルグへ。
風景が日本とまったく違い、木の色すらなにやら不思議な感じだったので、車内でも特に退屈はしませんでした。
ミサに使う歌の練習もありましたし。

ルクセンブルグの宿舎(カトリック系の男子寮とのこと)に到着。6時過ぎでした。
ルクセンブルグは6時くらいに飲食店以外の店舗が閉じてしまうので、微妙に閑散としていました。
バスを降りたら地元のメディアの方々が来ていました。なんとなく取材されました。生まれて初めてです。しかも英語。緊張していたので12を20などと言ってしまったりでしどろもどろでした。途中から通訳できる人が手伝ってくれて、一応なにか喋れました。写真も撮られました。新聞を買う余裕が無かったので、あれはどうなったのだろうと、帰国した今でもたまに思い出します。

その後、取材された人たちと友人で町に行ってケバブを食べました。ドイツあたりでは定番らしいです。これ。ルクセンブルグでは割高だとかなんとか。
町に繰り出したころにはもう8時くらいになっていたはずでしたが、日本の夏の5時くらいの明るさでした。
本格的に暗くなってきたのは9時くらいかも。
食後、町の探索へ。旧市街を歩いたのですが、まるでなにかのテーマパークのようでした。とてもきれい。ただ落書きが多い。

だいぶ遅くなってから宿舎に戻り、シャワーを浴びて就寝。
さりげなく布団が無かったので、早速寝袋を使いました。枕は続編つきの聖書です。高さちょうどいい。

まあなんというか

2005.08.06
広島に原子爆弾が投下された日ですね。今日は。
昨日今日とテレビでそういう番組ばかり見ていたせいで、なんというかまあ、そういう気分一色です。はい。

そんなこんなで、なんだか今日はマトリックスをずーっと見て、その後NHKで平和祈念式典を見ていたわけです。マトリックスどうでもいいですね。
まあマトリックスも改めて見ると、なんだかこう、色々思うところはあるわけです。スミスかわいいなあとか。まあそれはいいとして。

で、「平和巡礼2005」なんていうのを漫然と見たわけです。これ本題。この番組、なんか微妙でした。なんでかって言うと実質トリとして歌われた合唱曲、バーンスタインというユダヤの人が作った「カディッシュ」のなかの一曲なんですが、むちゃくちゃ宗教色むっちりなんですよ。「アーメン」連呼当たり前だし、「イスラエルに神の手をー」みたいな歌詞もあるのです。
なんかね、私としてはちょっと感動したんですけども、これで良いのかと思ってしまいました。今の情勢で核で「イスラエル」っていう「国際的に見た」危なさも当然あるのですけども、それ以上に特定の宗教臭を出すのはどうよと。どうせユダヤ教(キリスト教にも通じるかも)を出すのなら、もっといろんな宗教の歌を歌った方がよかったんじゃないかと。
教会に通って洗礼も考えてる身として、こういうこと書くのには語弊がだいぶあるかなとおもうんですけど、広島ってそれ自体に宗教色を付加しないほうが良いかなと思うんです。そんな感じです。
これなら土の歌でも歌ったほうが好かったんじゃないかと。あの大地讃頌の。

今日は無駄にしどろもどろです。まあいいや。
さりげなく民放をチラ見したら、今日東京でやったとかいう花火大会の特集をやってました。なんだこの剥離感。自粛しろよと思ってしまったり。

こんなところで言うのもなんかもしれませんが、原子爆弾で犠牲になった方々のご冥福を心からお祈りしています。

耳に残るは君の歌声

2005.08.05
「耳に残るは君の歌声」という映画を見ました。
小さいころに生き別れになったパパを探して、女の子が時代に翻弄される話です。あ、一文であらすじ説明できた。

まあいいや。
この映画、キャストが豪華ですね。ものすごい地味な話なんですけど、聞いたことある名前が並んでたりします。
正直始めてみたときは、「いや、だから?」と思ってしまったのですが、改めて見るとなんだかじんときました。

サンデイイズグルーミ~
「暗い日曜日」って映画もありましたね。いつか見てみよ。

古本の街

2005.08.03
神保町に行ってきました。
本大好きです。
ただ最近困ったことに、内容よりも装丁に目が行ったりもしてしまいます。
読んだらもっと役に立つんだろうに。だめだなあ自分。

んで神保町。
古書店ばかりと聞いていて、無意味に屋台みたいなのを想像していました。
それで違ったのは当然のお話。

それにしてもぶらぶらしているだけでも楽しいです。
安部公房の生原稿を始めて見て、意外に字が下手だなあと思ったり
チェーホフの全集をぼーっと見たり
洗礼祝いのカードが挟まってる祈祷書を見つけてなんともいえない気分になったり

一応お買い物もしました。ロシア語の1816年に出版された聖書を一冊。
300円でした。
値段につられたのです。
・・・ロシア語これから勉強します。

なんかこう、ラテン語ならまだ読んだだけでなんとなく「こうかいてあるんだなあ」と思えるところもあるんですけど、さすがにギリシア語だのヘブライ語だのロシア語だのの非アルファベットで攻められると、手も足も出なくなります。英語も満足に出来ないのに、ちょっと英語が出来るようになったような錯覚すら起きます。

ロシア語聖書を買った書店に、憧れのウルガダ聖書もありました。
地味に資金不足でへらへらしてたら一瞬で売れました。
みんな大好きウルガダ聖書。
もうただの聖書マニアなのかなあと心底思いましたけども。

帰りに救世軍の本営を見に行きました。
ちょうど礼拝がおこなわれるのか、大々的に宣伝していました。
行ってみたかったのですが、時間も時間だったので諦めました。
いつか行って見たいなあ。

帰ってみてさりげなく戦利品の表紙を拭ったら、ティッシュが真っ黒になりました。
拭っても拭っても黒くなるばっかりです。
表紙になにか塗っているのでしょうか・・・。

二十四の瞳

2005.08.02
中学時代の体育祭、なぜかこれをずっと読んでいた思い出があります。
んで今日、テレ朝でやってたこのドラマを見てみたのですが・・・

やっぱり黒木瞳が違和感ありすぎでした。
もっと天真爛漫なイメージだったんだけどなあ、大石先生。
変に色気があるというかなんというか・・・。

あと露骨な反戦ムードにもひきました。
別に嫌いってわけじゃないんです、反戦。
でもこれにまで持ち込まれるとちょっと・・・。
日本で作る反戦ものって、なんか考える余地なくぐいぐい押し付けられる感じがして、独特のいやらしさを感じてしまうのです。
しかもこの話、「二十四の瞳」って銘打っといて、結局そこだけで話が収束しちゃってるし。なんかちがうんじゃないかと。

なんていうか、脚本家だか監督だかが自分の言いたいことを詰め込みすぎたせいで、一つ一つのエピソードが飛び飛びになって、結局一つの二時間ものドラマとして見えなくなってしまったような感じでした。

別に悪いところだらけじゃありませんでしたけども。
ことやんのエピソードは泣けました。
それだけかも
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