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独り言を言ってみました。

2005.10.29
本音を言うことほど難しいことってないですね。
自分に限ったことなのかもしれないのですけども。
自分は正直、臆病者なので、本音を言って真っ向から対立したりするのがニガテです。
あと、本音を出して変に誤解されるのも苦手です。
・・・こんな風に書いてみたのですが、そもそも本音とはなんだろうという疑問がありますね。
たぶんここに書いているのは本音に対する本音なんですよ。
「じゃあ本音かいてるじゃないか」ってツッコミがきちゃうんです。
でも、「本音を言わなければいけない状態」の時には大体嘘言ってるなあという記憶はあるんですね。
不思議。
頭の中を整理したら、たぶんぽんと繋がるんでしょうけど、面倒くさがりなのでやる気がおきないのです。いわゆるバカです。

本音嫌いですねえ。
だからカトリック教会でやる「わかちあい」っていうのもニガテです。
こう順番にやらなきゃいけない雰囲気の中でどんどん本音をかたっていくような・・・。
これが始まるとだいぶ居心地が悪くなるのです。
ちょっと切なくなりますね。カトリック向いてないのかなあっていう。
これはただの一側面なんでしょうが、決定的にニガテだときつい。

人嫌いなんでしょうね、自分。
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コメント
 本音についての話を読んで、考えさせられました。でもこのように正直に考えてる貴女って素晴らしいと思います。普通なかなか気がつかないものですよ。(僕はあなたの歳とあまり変わりませんが、普段あまりそういうことは考えていかも)
 僕にとっても本音を言うのは難しい。そしてむしろ本音を思うことすら難しいのです。今考えていることは本音なのか。自分の心に尋ねると、何か違うような気がする。本当は何かより深いことを持っているのに、それを見つけていない自分がいるのです。
 ではどうすればいいのか。僕はそのためにも神との対話が必要だと思います。いやむしろ独り言として本音を語っている時も、それはモノローグではなくダイアローグなのではないでしょうか。なぜなら神はあなたの本音を愛をもってお聞きになり、そして答えてくださるのだから。
 カトリックにおける分かち合いもこのようなものだと僕は思います。本音を語る相手は単なる他人ではありません。なぜならそこにはキリストがいるからです。(マタイ18;20)
 聖書の中で、本音をはっきりと言った女性がいます。それが聖母マリアです。彼女はガブリエルから知らされた時、真の本音を発見しました。それはあらゆる不安を超えるものでした。普通の意味での本音であれば、マリア様は不安だったにちがいありません。しかしそれを超える「魂の本音」を彼女は語りました。「私は主のはしため、お言葉通りになりますように」これがザカリアとの大きな違いです。
 楽器というのはその楽器本来の音色を出してこそ、美しい音楽となります。では私たちの本当の音色つまり「本音」はどこにあるのか。それはキリストとの2人っきりの愛の対話のうちにあらわれるでしょう。その本音を無理して出す必要はないのです。ただ聖霊によって導かれる時は、思っていることを力を入れずに言えばよいのだと僕は思います。(ルカ12:12)相手が誤解することを心配しても仕方がありません。それは明るい笑顔でカバーしましょう!
 コメントが長くなりました。おまけになんだか、とんちんかんなことを書いたような気がします。すみません。いつもこのブログを楽しく拝見しております。これからもがんばってください☆
【2005/11/03 00:10】 URL | フランシスコ #-
自分のほかにもこういうことを思っているんだなとわかると、すこしほっとします。
本音に関する分析、とても面白いと思いました。
アドバイスもありがとうございます。
【2005/11/03 23:26】 URL | 塩鮭 #-
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