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ごめんなさい

2006.03.31
今日は久々に帰国してきた友人たちとお花見をしました。桜の木の根元にも酔っ払いが増えて、正直あまりいい雰囲気ではありませんけども。
なんだ、ちょうどいい穴場を見つけられたのでそこそこ楽しめたのです。

もう2年の履修を考えなければいけないのですが、意外と胃痛の種のようなものが多いです。
今日ガイダンスだったのですけども、色々と微妙でした。教会史は期待できないかなあ・・・。
昨日きゃーと言ってたことは解決しました。私はきっとコアな道に行きます。



愚痴なんですけども。
私は正直なところ、「カトリックの若者の集い」というのが苦手なわけです。あなた、WYD行ってきたでしょうと言われるでしょうが、なんでしょうね、あれはまだ個人的な部分が大きかったのでいいのですよ。だから別に良かったわけです。
今日、久々に大学に行って、改めてその手の集まりに対する妙な抵抗を自覚しました。なんでこんなに不快感を覚えるのか自分でも不思議になりました。とりあえずぐちぐちと書いてみます。
なんだろう、まずフォークミサが苦手なわけです。
普通ミサというと、典礼聖歌だのカトリック聖歌集だのを歌ってわりと淡々と進みます。ですが、フォークミサの場合―ただの主観かもしれませんけども―ギターの伴奏にしたがってノリのいい音楽をみんなで歌ったりするわけです。若者の集まりだと、この形式のミサが非常に多い。というかそれしかしない。それでたまに「聖歌」とはいえないような歌も歌います。翼をくださいだの、ともだちになるためにだの。それでこのミサ、第一に音楽関係での妙な整合性のなさが苦手です。形式主義と思われるかもしれませんが、答唱詩篇は第一朗読に対して、詩篇の言葉を以ってそれに応答する旨の歌じゃないかと。それがなんだ、第一朗読といまいち関係ない歌詞で適当にギターをじゃかじゃかされると、妙に尻のあたりがむず痒い。大局的にみればその歌詞でもいいのかもしれないけど、それじゃあ馬鹿の一つ覚えみたいじゃないかと。それで閉祭の歌として、―いくら「みんなで囲むミサ」とは言え―「私たちは仲間です!」だのとアピールするような歌を歌ってもノリきれずに終わるのです。第二になんだ、妙に歌が幼稚だなあと思ってしまうのです。私は別にミサに使う歌に優劣をつけたりはしませんけども、なんだこう、・・・なあと。もともと美術に惹かれて入ってきたからかな。とりあえずなんだろう、変な歌が多い。子供たちが歌ってたら可愛いんですけども、大学生にもなって歌うにはちょっと赤面してしまうような。こういう考え方ってだめですかね。「神様の前ではみんな子供」なんですかね。そこらへんとぶつかって微妙にジレンマです。それで第三に、私はノリが悪いわけです。普通のミサだと、いい意味でもそこそこ淡々と進むからこっちが自由にノリを合わせられるわけです。でもフォークだと早い話、置いてかれてしまうわけです。さびしい。なんだろうな、きっと私が悪いのですよ。
そんな感じです。
あとなんだ、分かち合いも苦手なわけです。分かち合い、正直なことを話せたことはありません。こう、自分の信仰だのそこらへんのことを話して、周りもうんうんとうなずいてくれる雰囲気がどうもなんというか、信用できないのです。自分が悪いことくらい判ってますよ。痛いほど判ってます。私はもともと人前だと妙に舞い上がるので、まともに物を考えるとかができません。特にほぼ初対面の人同士で「分かち合いをしよう」と言われても固まるだけです。仲のいい相手とならともかく、よく知らない人に自分の腹のうちなぞ明かせません。仲いい人にもあまりしないです。身の上話なら何時間でもしますよ。これってきっとよくないね。
おそらく私は広い人付き合いというのが苦手です。それでこの手の集まりが全体的に信用できないのです。若気の至りというかなんというか、若いパワーもいいけど、それが拡散しすぎるのも集中しすぎるのも嫌いです。要はその手の集まりだと、むしろ宗教自体がただの大義名分になっているんじゃないかと思ってしまうわけです。無邪気に飲み会!ならいいけど、イエス様がどうのこうので飲み会!っていうのはあざというというか気持ち悪いと言うか。うーん。それで妙に色々乱れてたりすると、ぺっと思ってしまうわけです。ぺっと。潔癖すぎでしょうか。
あとわりと大きな問題は、カトリックの場合などはその集まりの根幹となる宗教行事(ミサ)自体も「自分たち色」に染めてしまう部分じゃないかと思っています。式次第だけ見て、「ああ、これの主催はあそこらへんか」と一発で判ってしまうわけです。そうするとそこら辺の自己満足にしか見えない。それで上のフォークだのなんだのの愚痴に戻るわけです。

なんだ、こうしてぐちゃぐちゃ書きましたが、私はこういうので愚痴るだけで、別に他人のやることには口は出しません。だからあっちもこっちに口出しするなと思ってしまうわけです。最低限視界に入らないでくれと。でもなんだ、学部の中ではその手の色が全開なわけです。
きっと間違ってるのは私でしょう。分かち合いをしなければ自分の殻に閉じこもるだけかもしれないし、他人の心のうちもわからないのかもしれません。でもなんだ、嫌だなあと。性格があわないんでしょうね。偏屈はきっと天国にはいけないのです。別にいいです。
なんだ、事情が良くわからないとまったく意味不明な文章です。勢いだからなあ。
あと支離滅裂なのは仕様です。私の頭の中の。あーあ。
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