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復活徹夜祭。

2006.04.15
今日は土曜日で、昨日の流れからすると聖土曜日なんじゃないかと思われる方もいるかもしれません。

ですがなんだ、聖土曜日っていうのはキリストの死を想う、語弊はあるけど「なにもない」日です。それで土曜日の専らの主役は復活徹夜祭になります。ユダヤの習慣では日没から次の日と数えるので、徹夜祭はだいたい日没後の七時頃から行われます。だから「救い主は三日目に復活し~」と言う信仰箇条が成り立ち、旧約聖書にある記述とも一致するわけです。
それでこの日は、典礼暦(教会の一年)の頂点とも言える非常に大切な日なのです。一般にはクリスマスの方が有名ですが、そもそも生まれてただ亡くなっただけだと歴史の記録にしかならないわけで。復活をしたことが歴史的にも宗教的にも大切なのです。とりあえずここで取り上げられる「復活」が蘇生だけとは限りません。なんだ、イエスが処刑されたことと、一時は離散していた使徒たちが再結集し、非常に精力的な布教を行って殉教していったことはウラのとれた歴史的な事実なわけです。それで使徒たちになにが起こったのでしょうね?という余白を埋めるものこそが空の墓伝承なんかにプッシュされてきた「キリストの復活」です。
それでこのめでたい日に、成人のための洗礼式もやります。私が神父さんと揉めたのはここんところなんですけども。まあいいや。
そんなとこです。

そんな感じで、今日は朝方~昼をなんとなく飛ばして、復活徹夜祭でした。
ミサはなんだ、正直に書くと半分愚痴になってしまうのですけども。
実はもなにもないですが、ミサの演出というか段取りというかになんとなくむずがゆさを感じてしまったわけです。洗礼式までなにからなにまでリハーサルされると、馬鹿な私にはこのミサが「祭儀」というより「イベント」のように感じてしまうわけです。打ち合わせも大切でしょうが、いちいち壇に上がる人の立ち位置まで微調整するのがいまいちわからない。そんなにスポットをつけたりけしたりが大切なのかとかだの。妙に違和感を感じてしまうわけです。演出過剰な気がしてしまうのでしょうかね。そもそも人が少なければ打ち合わせなんて…なんでもないです。
とにかく私はひねくれ者なので柔軟になれませんよ。
ミサの進行にかんしてもそんな感じです。とりあえず朗読の間に解説が入るのがいまいちよく分かりません。説教で言えばいいじゃないかとか。めでたくて騒いで色々やりたいなら、ミサじゃなくてそのあとのパーティに力を入れればいいんじゃないかと思うわけです。
まあいいや。
もういいや。
学者としても偉い神父さんたちもたくさんいたので、とりあえず間違っているのは私です。ごめんなさい。

それはともかく、来てくれた友人に感謝します。なんとなく今日は妙に客観的になってしまったのですが、端から見ると初めての人はびっくりするかもしれませんね。いろいろあるのですよ。

それと今日引退した先輩方にはお礼と同時にちょっとあやまりたいです。出来の悪い後輩ですみません。練習の進行は妨げるはまともに拍は取れないわで、いろいろとこのまま誰かの先輩になるのはきついです。
うーん。
時間の流れるのは早いなあとしみじみ思いました。これであと一回復活祭があったら今の3年生が引退して、もう一回で私たちが引退するわけです。それで次に復活祭の頃には卒業して、それまでに社会に出るか院に行くかを決めて、そのどっちかに進んでいるわけです。それから数十回後の復活祭にはこの世にいないかもしれません。そんなもんでしょうし、これから3度目から死ぬまでが白紙ということを私は喜ぶべきなのかもしれません。まあでもなんだ、最近いまいち希望が持てないのですよ。いまここにいること自体も信じられません。しょうがないなあ。

なんだ、いきなりいろんな方面に飛んでいって一人で感傷的になりましたがそんなもんです。
時間の節とか余白にはこういう気分になるわけですよ。
とりあえず、ご復活おめでとうございます。
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