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結局何が悪いのか(うだうだだなあ)

2005.03.01
私は教会のミサに出た後、聖書研究会というのにも出てます。「研究」とか言ってますが、求道者のための要理勉強会です。

行き始めて半年位したころ、ちょっと変わった雰囲気の人がきていました。
普段神父さんが座っている位置に、保坂尚輝の目が細くなったような男の人が、香水の香りを振りまきながら座ってました。
しかも棒人形が48手やってる絵が一面に描いてあるトレーナーを着てやがります。
あー、へんな人が来たなあなどと思いながらも、私は自分の定位置に座りました。その人の隣です。
なんとなく要理のプリントを広げて見ていると、その人の話し声が聞こえました。

「マリア崇拝についてどこかの神父さんと論争になって、怒らせちゃったから反省代わりに来たんですよははははは」

・・・なんだこいつ。
周りの変な雰囲気。やばいこの人本当に変な人だ。
神父さんが来ました。始めに主の祈りを唱えるのですが、彼は普通にスルー。
聖書朗読の次に神父さんが「修道制は原始キリスト教の体制に習ってます」
みたいな事を言うと、
「え、違うと思うんですけど。だってここはこれで・・・」
と早口で矢継ぎ早に突っ込みます。
神父さんは耳が遠い上に外人さんなので早口で言われても聞き取れずに固まるだけです。
「え、答えられないんですか??え?」
おいおい、こっちの様子を察せよ・・・。
神父さんは訳わかんねという顔をして、一言二言説明すると次のコーナーに進みました。

聖母崇敬についてです。

・・・彼の目が光ったように感じました。もう超ハイテンションで突っ込みまくりです。
最初は砕けた敬語でしたが、ついにフランキーなタメ語に進化しました。
「答えられねーのかよー」
こっちもイライラしてきてなんか言い返してやりたくなりましたが、習って半年の身にはちょっとキツイです。
周りの人も、静かな方や日の浅い方だらけなので口を出せません。誰か呼んできたくなりましたが、もう夜遅いので聖堂にもロビーにも人は残ってないようです。

おいおいもっとゆっくり喋れよ・・・ボケーっとそいつの方を見てると、いきなり彼に話を振られました。
「おかしいよねっ」
いや、ねっと言われましても・・・。
確かにそいつの言ってることにも一理あります。
使っている要理のプリントはけっこう保守的な内容で、「いや、マリア様持ち上げすぎだろ」ってなことも書いてあります。

でもそんなノリで言われてもね・・・。しかもマリア「崇拝」じゃなくて「崇敬」だろおまえ。
拝むのと敬うのじゃ天と地ほど違うぞ。論争とかしたいんだったらちゃんと調べろよ。と心の中でつっこむ私。

そのうちに神父さんが不機嫌な顔になってきました。
そして一言。
「君は礼儀を知らないね」
ノリに乗っていた彼には、こちらの敗北宣言に聞こえたらしいです。たしかにペースの時点でついていけないんですから、私たち不戦敗です。
それからしばらくして、会は終わりました。彼は私のプリント(とりあえず見せてた)を小さくたたんでポケットに突っ込んで持って帰っていきました。

帰りがけに彼はこっちをチラッと見てきました。
私には微笑みかけてやることしかできなかったです。
ニヤつく私の顔を見たそいつは、なんか呆気にとられた顔をしてました。


エキュメニカル(全教会一致運動)って難しいだろうなあという事を実感しました。
宗教って、精神の根幹になるものだと思うんですよ。だから異なった立場と冷静に話し合うことは難しいだろうし、変えるのはもっと難しい。厳格な宗派ならそれ以上に難しい。(無神論っていう宗派もあるかも)
現代のカトリックはそこのところ結構自由だなと思ってます。アバウトなところ多いし。でもそう感じるのは、あくまで私が未受洗のアウトサイダーだからかもしれないです。うーん・・・。

それにしても・・・
あと4年したら彼にリベンジしたいんですが・・・もう終わり?
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コメント
†主の平和、天に栄光

聖母崇敬の萌芽が初代教会からあったことは、教会教父(たとえば聖ユスティノス)などが書いてきました。

もちろん、私たちは聖母を崇拝などしません。それはcanonでも明確に認めないと規定されています。

しかし、聖母はキリストのお母さんであり、聖母に取りなしをたのむことは何ら問題ではありません。
私たちは、伝統的に"Sancta Maria, ora pro nobis."(聖マリア、われらのために、「祈りたまえ」) と祈ってきました。これは明らかに神に対するものではありませんよね。兄弟姉妹に祈ってもらう呼びかけに近い。

使徒信条(これもカトリックの「聖伝」です)にも、「聖徒の交わり」とあります。

自信を持って、カトリック信仰を深め、ともに主をたたえ、賛美と感謝の祈りをささげてまいりましょう!(^^)



なお、新興の原理主義的なプロテスタンティズム教団などの信者の方と論争をすることは、あまり意味がないと思います。

私も、自分の小教区の教会の門にて、「マリア崇拝は地獄の教義!カトリック教会は悪霊に支配された緋色の獣」などというチラシを配られていた福音派信者の方を(なかば無理矢理(笑))お茶にお誘いして議論したことなどもあります。

しかし、彼らは論破されても、そのことに気づかないのです。

というより、私たちのカトリック教会やオーソドクスなどの初代教会から連綿と続く使徒継承の教会においては、聖書の成立以前から実在した歴史的存在ですから、「聖書のみ」(この思想は16世紀まで存在しなかった)ではありません。
聖書は教会で読まれまた聞かれて、聖伝に照らし合わせて少しずつ正典化していった、というのが歴史です。
ですから、私たちは「聖書と聖伝」を信仰の規範とします(オーソドクスなどは、聖書も聖伝に含ませます)。

その他、彼らとは議論の前提が異なることが多いのです。

いたずらに攻撃的な彼らの議論の土俵に載ることは、キリストを悲しませることになると思います。


できれば、彼らとも兄弟的な交わりをもつ姿勢をもてたらなぁ、と自省しつつ思います。


それではまた!
【2005/06/04 17:39】 URL | いち信徒 #XFFAm6V.
主の平和!
書き込みありがとうございます。
考え方の基礎自体が違う人と話し合うのって、本当に難しいですよね。
キリストは本来、一致を望んでいるはずなのに・・・。
【2005/06/04 21:43】 URL | 塩鮭 #-
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