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さあ微妙なことを書くぞ書くぞ

2006.06.03
まあなんだ、昨日は教会史の授業に憤慨していました。
内容がなさすぎる!
うーん、というかなんというか、先生の微妙に内輪向けすぎる雰囲気とか、「オレ的神学をやるやつのための心構え」見たいなのが微妙にうざったい。
何回も繰り返すなと。
この授業ではあくまで歴史の授業であって、そんな全人間的な教育は期待してないのにと。
うーん。
きっと先生が、「ナントカカントカってなんだ?」とか言った時にこっちが答えないのが悪いんでしょうね。なにぶん私は消極的ですから。というかあまり関わりたくないというか、この期に及んで目立ちたくないというか。それに私もあんまり「私勉強してるわあ」みたいな雰囲気を出したくないんです。実際してないから。
しかも色々な意味でペラペラの時に書いたレポートのほうが、普通に書いた時より評価がよくて驚きました。どうしたんだろう。
はあ。

いきなり微妙なことを言います。やっぱり哲学と神学のかかわりがいまいち判りません。
もともと神学と言うのは、外の世界に対して自分たちの信仰を、哲学によって説明しようとしたことが始まりだそうです。でも今の時代、そういう「哲学的言語」がそこまで理解されなくなっていますし、肝心の哲学も神学とは大いに離れていってしまってるのではないかと。
そこら辺の哲学と神学の分離というか、この微妙な関係を考えているとちょっとわからなくなるのです。
やっぱり「外に対する信仰の説明」で言ったら、マザーテレサのように働きで示すのが一番に思い浮かびます。あれはもちろん、説明するためには行っていないでしょう。ですが現段階のこの日本で、信仰を言語化して説明する手段と言うのが見つからないのです。やっぱり働きが一番なのかなと。カルカッタの施設では、信者じゃない日本人がたくさんボランティアで働いているくらいですから。
でもこれは「神学」じゃなんだろうし。うーん、言語化なあ。
歴史の次元で生きたいよ。

あとなんだろう、今日とても実感したのですが、もう教会は芸術の育ててじゃないのでしょうか。現代芸術の動きもよくわからないのでなんともいえませんが、最近の雰囲気とかそのあたりを見ていると、この先どうなんだろうとちょっと不安になります。

あとあの和田さんはどうにかならないんでしょうかね。
まったく、逆にあれだけできるのが不思議です。
何のために絵を描いてるだろうなあと。
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